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[快速廃止] 12月17日、阪急ダイヤ改正 [準特急爆誕]

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12月17日、阪急がダイヤ改正を行いました。 こんなタイミングあります? 京都線の快速について書いた 前回の記事 ですが、その投稿の翌日10月12日、阪急電鉄が12月17日にダイヤ改正を行うと発表しました。 そのうち大きな変更点として、京都線の快速の名称を急行に変更し、停車駅に西京極を追加するというものがあります。 阪急電鉄による公式発表 2022年12月17日(土)ダイヤ改正 全列車時刻表 やっぱり快速は急行だった! その前回の記事にて、この快速という種別は事実上の急行ではないのか?と私の見方を述べましたが、やはりそうだったようです。 伝統の急行が復活し、快速の青い種別表示は姿を消します。 急行、西京極停車の意義 快速から急行への名称変更と共に、西京極が停車駅に追加されました。 これの意義について考えてみましょう。 大阪梅田から西京極へ行く事を仮定して、日中の場合は 大阪梅田 -- < 特急 > -- 桂 -- < 準急 > -- 西京極 というふうに桂で準急に接続し、一駅だけ乗って西京極にたどり着きます。 しかし、夕ラッシュ時は 大阪梅田 -- < 通勤特急 or 快速急行 or 快速 > -- 長岡天神 -- < 準急 or 普通 > -- 西京極 というふうに、長岡天神での接続となるため、5駅も各駅停車に揺られる事になり、日中よりラッシュ時の方が不便になるということが起こります。 おそらく今回改正による急行の西京極停車化は、この状態を改善する意図があると思われます。 他にも大きな変更多数 今回の改正では、快速の消滅以外にも大きな変更があります。 快速急行 が 準特急 に 「座席指定サービスの開始を見据えた変更」として、快速急行が準特急に名称変更されました。 座席指定サービスは、2024年を目標に 通勤特急 、 特急 、 準特急 に導入するとしています。 準特急への名称変更は、座席指定サービスを開始した際、指定席車の有無を利用客に分かりやすくするために「〇特急」という名称に統一する意図があるようです。 準特急というと京王を思い出す鉄道ファンも多いはず。 快速特急A の廃止、ついに6300系が本線から完全撤退 6300系を使用した「京とれいん」こと 快速特急A が廃止となり、観光列車の運転は「京とれいん 雅

阪急京都線の謎種別「快速」から京都線のクセの強さを見る

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快速なんてありましたっけ? はい、確かに走っています。阪急京都線の「 快速 」。 走っているのは平日早朝の梅田方面が3本、夕方の京都河原町方面が7本のみ。土休日の運転は無く、印象が薄いのも仕方なしでしょうか。 京都線ダイヤ 基本のキ 京都線のダイヤで軸になるのが、 特急 、 準急 、 普通 の3種別です。 特急 は速達種別で、大阪梅田・十三・淡路・茨木市・高槻市・長岡天神・桂・烏丸・京都河原町に止まります。京阪間と途中の各都市の速達需要を担います。 普通 は各駅停車(ホームの無い中津駅のみ通過)ですが、 日中に大阪方から京都方面へ向かう普通は全て高槻市止まり となります。 特急と普通の間を補完しつつ、普通の代わりに高槻市-京都河原町間の各駅需要を担うのが 準急 です。特急停車駅に南方・上新庄・南茨木を追加し、 高槻市-京都河原町間は各駅に停車 します。 日中の運行形態 ラッシュ時には当然本数が増え...ない!! 通常の鉄道路線では、ラッシュ時間帯になると列車本数が増えますが、阪急京都線は増えません。 というより、日中でも3種別が10分おきに走っていますから、一日中ラッシュ時の本数のまま走っているという方が正しいかもしれません。 大阪梅田駅の時刻表。右から神戸線、宝塚線、京都線の順。 京都線だけ日中でもラッシュ時と変わらない本数で運転されていることが一目でお分かりいただけると思います。 このような運転形態となった背景には、日中に観光客の利用が多いこと。特にコロナ前は外国人観光客が多く、平日休日問わず特急に乗客が集中することから、一種の遠近分離として準急を走らせる必要があるためと思われます(準急は高槻市までは先着します)。 京都線のエース、9300系の特急。 3扉の9300系投入の背景には、特急の需要増加も関係しています。 ラッシュ時に起こること ラッシュ時に本数は増えない京都線ですが、いろいろな変化が起こります。 特急 が 通勤特急 と 快速急行 に換わります 特急と比べて、西院・大宮に停車する代わりに淡路を通過するのが 通勤特急 。西院・大宮に停車し、淡路にも止まるのが 快速急行 です。 日中は10分おきにやってくる特急ですが、ラッシュ時には通勤特急の10分後に快速急行、その10分後に通勤特急と交互にやってきます。 これにより、京都市内中心部の西院・大宮には全列車が

ただの地下鉄直通車ではない 近鉄3200系という電車

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 この記事には著者の個人的な考察が含まれます。 京都市営地下鉄直通スペシャル、3200系。 近鉄3200系は京都市営地下鉄への直通用車両として生まれました。 当然ながら、他の近鉄一般車と共通する部分が多く、近鉄一般車の「地下鉄直通スペシャルバージョン」といった感じです。 しかし、前後の時系列や3200系が負った役目を考えると、近鉄が如何にこの車両に対して力を入れたが見えてきます。 本来の活躍ができなかった先輩、3000系。 3000系の写真は手持ちがなかったため、友人よりお借りしました。 3200系の事を語るには、やはり3000系について話さなければなりません。 3000系は京都市営地下鉄への直通を見込んで1979年に製造されます。 電機子チョッパ制御 や、近鉄唯一のステンレス製車体を採用した、試作的要素の強い車両です。 一方乗り入れ相手の京都市交通局は、烏丸線開業へ向けて1980年に10系を製造します。 元々は地下鉄開業直後に直通を開始する予定であったのですが、用地の取得に難航し81年5月に北大路-京都間が先行して開業。近鉄との接続駅である竹田の開業は88年6月まで待たなければなりません。 この7年のギャップが3200系を生むこととなります。 これにより、地下鉄直通用として生まれたはずの3000系は本来の活躍ができなくなってしまいます。 3000系の特徴である電機子チョッパ制御は、制御器からの発熱を抑えたい地下線内での運用には持って来い。もう一つの特徴である電気指令式ブレーキも、固定編成を組むことが前提となる地下鉄直通運用だからこそ搭載が可能となったものです。 後に3000系はこれらの装備が交換され、他の一般車と共通の運用が行えるようになっています。 電機子チョッパ制御を本格採用しなかった近鉄、次世代の制御方式へ。 1984年、近鉄は1420系を登場させます(登場時は1250系)。こちらは当時新造していた1200系と同じ車体を持ち、何の変哲もない車両のように見えますがその実、近鉄初にして日本の直流1500V用初の VVVFインバーター制御車 です。 前の2両が1420系。こちらの写真も友人よりお借りしました。 この1420系は試作車としての要素が強く、1編成2両のみの製造となりました。 近鉄はこの車両の試験から、VVVFインバータ制御実用化への目処を立て、次世代の

寺町商店街にある京福電鉄(嵐電)の社章の話

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 京都随一の繁華街、寺町通の路地を曲がると、こんな小さな点検蓋があります。 点検蓋には渦を巻いたような菱形のマークが見られます。 このマークは 菱形雷文 と呼ばれ、嵐電の愛称で知られる京福電気鉄道の社章として使われているものです。 ↓こちら京福電気鉄道のホームページでも菱形雷文が確認できます。 京福電気鉄道株式会社 (keifuku.co.jp) この点検蓋があるのは三条寺町、すき焼きで有名な三嶋亭のすぐ裏です。場所的にも嵐電は全く関係なさそうな場所ですよね。なぜこんなところに菱形雷文の点検蓋があるのか。 三嶋亭の南側の路地を入ったところに件の点検蓋があります。 いや、そもそもこの蓋は本当に嵐電、京福電気鉄道のものなのでしょうか。 実はこの菱形雷文は元々、かつて京都に存在した電力会社、 京都電燈 の社章でした。 日本で四番目の電力会社、京都電燈 京都電燈は、1888年(明治21年)4月に創立されました。当初は会社敷地内で石炭による火力発電を行い、直流による近距離低圧配電を行います。 1890年(明治23年)に琵琶湖疏水が開通、翌91年には蹴上発電所が日本初の商用発電所として営業を開始します。 一方京都電燈は、蹴上発電所開業翌年の1892年(明治25年)蹴上発電所からの電力の供給を受けることを願い出、許可を受けます。これを機に自社の火力発電を廃止し、送電を低圧直流から高圧交流へ転換します。 蹴上発電所 テリトリーを福井へも拡大 京都電燈は安定した電力の供給先を確保するため、京都・福井の両府県で鉄道事業を開始します。 これによって開業したのが現在の えちぜん鉄道 、 叡山電鉄 、そして 嵐電 の路線たちです。 また、もう一つ残っているものとして1937年に竣工した新社屋があります。京都駅前、現在関西電力京都支社として使用されている建物がそれです。 旧京都電燈本社、現在の関西電力京都支社。 配電統制令、そして解体 時代が戦時下となると、国家がインフラを管理するようになっていきます。1941年(昭和16年)には配電統制令が発布され、京都電燈も解散することとなります。 その結果、京都電燈の配電部門は関西配電株式会社および北陸配電株式会社へ事業譲渡。発送電部門は日本発送電株式会社へ事業譲渡。電力関係はそれぞれ特殊法人に継承されます。 そして 鉄道事業は京福電気鉄道へ事業譲渡 と

見届けましょう、京都市交通局10系

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 10系の廃車が始まりました。 京都市営地下鉄40周年のヘッドマークを掲出して走る10系。夕日を浴びて立体感マシマシ。 こちらは廃車が予定される1・2次車。(向島-小倉) 京都市営地下鉄を開業以来支えてきた車両です。 10系は製造時期によって1次車から6次車が存在します。1981年に登場の1・2次車と、1988年の烏丸線竹田開業に合わせて登場した3~6次車の二種類に大別されます。 今後1・2次車は新型車両への置き換えが進み、廃車となります。 3~6次車については、制御器や案内装置を更新の上で引き続き運用されます。 顔の違う3次車以降。こちらはまだまだ走り続けます。 画像の車両は6次車。(木津川台) 因みに、元来10系の制御装置であるチョッパ装置が、製造中止により予備部品が確保できなくなったため、1・2次車の廃車より先行して3次車以降の制御装置が順次更新されています。更新によって取り外されたチョッパ装置が、存続する未更新車の予備部品に回されている状態です。 意外とかっこいい 失礼な言い方ですが、個人的に地味な印象しかなかった10系。今回改めてしっかり見てみると、結構かっこいい。モダンなデザインですね。 それまで関西の電車にはなかった傾斜の付いた全面デザイン。上下に分かれて開く非常用扉は、コルゲートパネルによって装飾されています。 アルミ車体ではあまり見ることがない側窓の構造。3次車以降では角が丸くなっています。 いっぱい走っている10系、でも撮るとなると... 新田辺以北は本数が多く狙いやすい。(小倉-伊勢田) 10系は在籍数からすれば、決して少数派の車両ではありません。しかし基本は地下を走っていますし、近鉄京都線直通運用は近鉄車と分担しているため、地上の近鉄線内で撮影するとなると案外しょっちゅう来てくれる車両ではなかったりします。それも廃車間近の1・2次車を狙うとなれば尚更です。 平城宮跡を行く奈良行き急行。京都の電車が奈良の都を走る。 写真の編成は3次車。(大和西大寺-新大宮 ならファミリ―屋上より) 有志の方々が運用を調べられていますので、そちらを参考に狙い目を絞るしかないでしょう。 地下鉄線内は暗く、ホームドアの設置で撮影が難しい駅も多い。(烏丸御池) ※暗い地下線内でも、フラッシュを使用した撮影は厳禁です。 撮るだけじゃなくて聴いておこう 10系最大の特徴と

キハ85系が無くなると大阪ひだも無くなるかもしれない

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朝のラッシュ時間帯真っただ中の京都駅。 ひっそり、否、堂々と0番のりばに入ってくるJR東海車。 京都駅0番のりばに入線する「大阪ひだ」高山行 名古屋と高山・富山を結ぶ特急ひだですが、一日一往復のみ大阪駅発着の便が運転されており、通称「大阪ひだ」と呼ばれています。 特急ひだというと使用車両であるキハ85系の置き換えが予定されていますが、この置き換えと同時に大阪ひだが消滅してしまうかもしれないという話です。 優秀な現行車両キハ85系と新型車両HC85系 本線上ではその性能を遺憾なく発揮する(山崎-長岡京) 現在使用されているキハ85系は1989年にデビューし、高い動力性能で高山本線、紀勢本線の速達化に貢献しました。また眺望のいい設計や上質な接客設備も利用者に好評で、特急ひだ・南紀のイメージアップにも貢献しました。 しかし、そんなキハ85系も老朽化が見られ、2022年度から後継の新型車両HC85系への置き換えが予定されています。こちらは現在高山本線や紀勢本線で試運転が行われているところです。 ↓HC85系についての記事 目指すは「日本最速」、JR東海ハイブリッド列車 | 特急・観光列車 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net) 未だJR西日本管内での試運転のないHC85系 この置き換えについて心配されることは、HC85系が未だにJR西日本管内で試運転を行っていないということです。新車投入にあたって乗務員の習熟訓練なども必要になるため、このタイミングで大阪ひだが廃止になることも考えられます。 山科盆地に入ってくるひだ25号。この先高山まで険しい道を越えて行く。 もし廃止になったら 思い出される「大阪しなの」 かつてもう一つJR東海の特急が大阪へ乗り入れていました。現在も名古屋-長野間で運転されている中央本線の特急「しなの」です。 「大阪しなの」は2016年3月のダイヤ改正で廃止されました。大阪しなのは東海道本線経由で名古屋を通って中央本線に入っていきますから、新幹線からの名古屋乗り換えに比してメリットが少なく、利用者が低迷したため廃止されました。 大阪ひだの場合、通常の名古屋発のひだとは違って名古屋へは向かわず、岐阜からそのまま高山本線に入りますから、大阪、京都から乗り換えなしで高山方面へ行けるメリットは大きく、これまで生きな

夕日の名所に行ったら京都市電の遺構に会った話

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金戒光明寺。平安神宮のある岡崎の少し北、黒谷と呼ばれる場所にある浄土宗のお寺です。 市民からは「黒谷さん」とも呼ばれるこのお寺。夕日が美しいことでも有名です。 境内の墓所からの眺めは素晴らしいものがあります。 京都市電の敷石 参道を歩いていくと、ある説明書きに目が行きます。 横にある親柱が、四条堀川にあったものだということ。 参道の石畳には市電廃止時に払い下げられた敷石が多数使用されている ということが書かれています。 書き方からして、全ての敷石が市電のものということでは無さそうですが、自分の足元を支えている石が嘗ては市電を支えていたと考えると不思議な気持ちになります。 夕暮れ時に沢山の人々を運んだ市電。そんな市電の敷石も、今はお寺の凛とした静けさの中です。 アフロ阿弥陀 話は変わってもう一つの金戒光明寺の名物、アフロ阿弥陀の話。 正式な名前は 五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゅいあみだぶつ)。 阿弥陀如来というと、極楽浄土へ導く仏様です。浄土宗では「南無阿弥陀仏」と唱えて、阿弥陀如来による極楽浄土への救済を願うわけですが、当の阿弥陀様もすべての衆生を救いたいと長い時間熟慮を重ねて仏となりました。 その長い時間とはどれくらいの時間かというのが五劫というやつで、一劫が「約2千km四方の大岩を100年に一度衣で一撫でし、その岩がなくなるよりも長い時間」というよくわからない長さです。五劫というのはその5倍ですから、途方もなく長い時間であるということだけはよくわかります。 阿弥陀様はあまりにも長い時間考え続けた結果、髪の毛がアフロみたいになってしまいました。その様子をとらえたのが 五劫思惟阿弥陀仏というわけです。 非常に珍しいタイプの仏像ですので、お立ち寄りの際は是非ご覧ください。 また、 仏像のある場所は個人のお墓の並ぶ墓地ですので、周りの方のご迷惑にならないようご配慮ください。