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市電廃線跡探訪-1 【堀川線の橋台】

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京都市電堀川線の橋台が残る堀川中立売に行ってきました。 1895年(明治28年)、日本初の路面電車、伏見線の開業から7か月後にこの堀川線は開業しました。当時は京都電気鉄道(京電)という私鉄で、1918年(大正7年)に京都市に買収され、市電となりました。 京電が敷設した路線は、軌間1067mmの狭軌で開業しましたが、京都市に買収されて以降は他の市電の路線と同じ1435mmの標準軌に改軌されていきました。 しかし、この堀川線は改軌、延伸の計画が昭和恐慌と戦時体制の影響で凍結され、廃止される1961年まで狭軌のまま運行され続けました。 博物館明治村で動態保存されている狭軌1形 明治生まれのこんなレトロな車両が堀川に沿って走る、非常に趣のある路線だったんですね。 一方堀川はというと、かつては運河として、また友禅染を晒すのに使われたりと、生活と密接な関係のある川でしたが、戦後は上下水道の整備により水の流れはほとんど無くなってしまったそうです。 しかし、2009年には導水路や親水護岸の整備が行われ、堀川に水の流れが復活すると共に、市民の新たな憩いの場となりました。 そんな憩いの場に堂々鎮座するレンガの構造物。これが本日の本題、市電堀川線の橋台跡です。これは東側。 こっちは西側です。市電は斜めに堀川を渡っていましたので、両橋台は南北にずれた位置にあります。 北側には人道橋、コンクリートのアーチ橋、石造アーチの堀川第一橋が並びます。 それぞれの位置関係を図にしてみました。 最初は単線で開業し、堀川沿いを走る堀川線と中立売通を走る北野線が、転車台を介して直角に接続していたそうです。その後、1908年に直通化と複線化が成され、堀川を斜めに渡るルートに変更されました。 コンクリートアーチ橋の下にある単線時代の橋台はこんな感じ。こちらは東側。この アーチ橋自体は市電のものではなさそうですね 。 フレアがひどくてすいません... 反対側(西側)は複線化後の橋台と一体化しています。 ここを見た後は、堀川線の廃線跡を北野まで辿ってみました。その様子はまた次回。

嵐電の桜のトンネルに行ってきた

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記念すべき一回目は嵐電の桜のトンネルに行ってきました。 嵐電こと京福電気鉄道の北野線、鳴滝駅~宇多野駅間にある桜のトンネル。大正15年(1926年)の北野線全線開通時に記念として植栽されたそうです。 この頃はまだ京都電燈でした。 今では京都の中でもかなり有名な桜スポットですが、今日(3月25日)の時点ではまだ桜は3分咲きといったところでしょうか。 今週末から4月頭あたりに見ごろになりそうです。 毎年ライトアップが行われ、夜桜電車も運転されますが、今年は残念ながらこれらのイベントは行われません。理由はコロナではなく、桜の木の老朽化に伴うメンテナンスだそうです。 来年以降の復活に期待しましょう。 https://randen.keifuku.co.jp/randen_news/detail.php?id=445 こちらのショットは宇多野1号踏切からの一枚。東側に架線柱と送電線があるので、午後の撮影がおすすめです。 でもやっぱり一番この場所を楽しめるのは列車内からでしょう。通過にかかる時間はたった数十秒ですが、この”トンネル感”を味わうなら乗車するしかありません。 これからの桜シーズン、京都に来られる際は是非お立ち寄りください。