投稿

9月, 2021の投稿を表示しています

キハ85系が無くなると大阪ひだも無くなるかもしれない

イメージ
朝のラッシュ時間帯真っただ中の京都駅。 ひっそり、否、堂々と0番のりばに入ってくるJR東海車。 京都駅0番のりばに入線する「大阪ひだ」高山行 名古屋と高山・富山を結ぶ特急ひだですが、一日一往復のみ大阪駅発着の便が運転されており、通称「大阪ひだ」と呼ばれています。 特急ひだというと使用車両であるキハ85系の置き換えが予定されていますが、この置き換えと同時に大阪ひだが消滅してしまうかもしれないという話です。 優秀な現行車両キハ85系と新型車両HC85系 本線上ではその性能を遺憾なく発揮する(山崎-長岡京) 現在使用されているキハ85系は1989年にデビューし、高い動力性能で高山本線、紀勢本線の速達化に貢献しました。また眺望のいい設計や上質な接客設備も利用者に好評で、特急ひだ・南紀のイメージアップにも貢献しました。 しかし、そんなキハ85系も老朽化が見られ、2022年度から後継の新型車両HC85系への置き換えが予定されています。こちらは現在高山本線や紀勢本線で試運転が行われているところです。 ↓HC85系についての記事 目指すは「日本最速」、JR東海ハイブリッド列車 | 特急・観光列車 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net) 未だJR西日本管内での試運転のないHC85系 この置き換えについて心配されることは、HC85系が未だにJR西日本管内で試運転を行っていないということです。新車投入にあたって乗務員の習熟訓練なども必要になるため、このタイミングで大阪ひだが廃止になることも考えられます。 山科盆地に入ってくるひだ25号。この先高山まで険しい道を越えて行く。 もし廃止になったら 思い出される「大阪しなの」 かつてもう一つJR東海の特急が大阪へ乗り入れていました。現在も名古屋-長野間で運転されている中央本線の特急「しなの」です。 「大阪しなの」は2016年3月のダイヤ改正で廃止されました。大阪しなのは東海道本線経由で名古屋を通って中央本線に入っていきますから、新幹線からの名古屋乗り換えに比してメリットが少なく、利用者が低迷したため廃止されました。 大阪ひだの場合、通常の名古屋発のひだとは違って名古屋へは向かわず、岐阜からそのまま高山本線に入りますから、大阪、京都から乗り換えなしで高山方面へ行けるメリットは大きく、これまで生きな

夕日の名所に行ったら京都市電の遺構に会った話

イメージ
金戒光明寺。平安神宮のある岡崎の少し北、黒谷と呼ばれる場所にある浄土宗のお寺です。 市民からは「黒谷さん」とも呼ばれるこのお寺。夕日が美しいことでも有名です。 境内の墓所からの眺めは素晴らしいものがあります。 京都市電の敷石 参道を歩いていくと、ある説明書きに目が行きます。 横にある親柱が、四条堀川にあったものだということ。 参道の石畳には市電廃止時に払い下げられた敷石が多数使用されている ということが書かれています。 書き方からして、全ての敷石が市電のものということでは無さそうですが、自分の足元を支えている石が嘗ては市電を支えていたと考えると不思議な気持ちになります。 夕暮れ時に沢山の人々を運んだ市電。そんな市電の敷石も、今はお寺の凛とした静けさの中です。 アフロ阿弥陀 話は変わってもう一つの金戒光明寺の名物、アフロ阿弥陀の話。 正式な名前は 五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゅいあみだぶつ)。 阿弥陀如来というと、極楽浄土へ導く仏様です。浄土宗では「南無阿弥陀仏」と唱えて、阿弥陀如来による極楽浄土への救済を願うわけですが、当の阿弥陀様もすべての衆生を救いたいと長い時間熟慮を重ねて仏となりました。 その長い時間とはどれくらいの時間かというのが五劫というやつで、一劫が「約2千km四方の大岩を100年に一度衣で一撫でし、その岩がなくなるよりも長い時間」というよくわからない長さです。五劫というのはその5倍ですから、途方もなく長い時間であるということだけはよくわかります。 阿弥陀様はあまりにも長い時間考え続けた結果、髪の毛がアフロみたいになってしまいました。その様子をとらえたのが 五劫思惟阿弥陀仏というわけです。 非常に珍しいタイプの仏像ですので、お立ち寄りの際は是非ご覧ください。 また、 仏像のある場所は個人のお墓の並ぶ墓地ですので、周りの方のご迷惑にならないようご配慮ください。

西向日駅の歴史 新京阪、名古屋への夢 

イメージ
  前回の記事 では、新京阪鉄道が開発した西向日駅前の住宅地について紹介しました。 今回は、新京阪鉄道が実は名古屋を目指していたこと、そしてその夢の路線が西向日駅から延びようとしていたことについてお話します。 名古屋急行電鉄 京阪電鉄は線形の優れた新京阪線(現在の阪急京都線)から分岐し、名古屋へ直通する路線を計画します。計画実現の為名古屋急行電鉄が設立され大津-名古屋間の免許が申請されます。 気になるルートですが、1928年6月12日と1929年3月1日の二度免許の申請がされており、それぞれルートが異なります。 1928年6月12日申請時 石山、平野、大鳥居、雲井、磯尾、池田、鳥居野、岩室、土山、山中、原、大久保、小古曽、日永、四日市、富田、柿村、桑名、汰上、長島、弥富、大井、蟹江、萬場、烏森、名古屋 1929年3月1日申請時 石山、草津、野洲、八日市、永源寺、員弁、佐屋、名古屋 28年のルートが比較的旧東海道に近いルートであるのに対し、29年のルートはより北側を通り、直線的に名古屋へ向かうルートであった事がわかります。 石山まではどうするつもりだった? 最初に免許が申請された1928年は、1月16日に天神橋(現在の天神橋筋六丁目)-高槻町(現在の高槻市)間が開業し、11月1日に高槻町-京都西院間が開業しています。 一方で、7月2日には、西向日町(現在の西向日)-山科間の免許を申請、11月6日には免許を取得しています。 また前年の27年には、京阪が六地蔵-石山間の六地蔵線の免許を取得しており、この二つの路線を介して、新京阪線と名古屋急行を結ぶつもりであったようです。 現在の西向日駅はどうなっている? 西向日駅は2面2線の棒線駅ですが、開業当初より将来的な2面4線の待避駅への改修も計画されていました。 京都河原町方面行ホーム その名残として、西向日駅のホームと敷地は大変広く作られており、これを見ると分岐駅として作り直す余裕もあるように見えます。 駅北側の道路から線路敷を覗いてみます。用地の幅が広くとられている事がお分かりいただけると思います。 皆さんも、車窓から見える西向日駅のやけに広いホームを見たら、新京阪鉄道の壮大な夢を思い出してあげてください。