市電廃線跡探訪-2 【堀川中立売から北野】
前回の続き、市電堀川線の廃線跡を辿っていきます。
堀川中立売の橋台跡を訪れた後は、そのまま北野方面へ廃線跡を辿ってみました。
前回の鉄橋跡から中立売通を西へ進みます。
タイル張りのレトロな学校が見えてきました。京都市立正親(せいしん)小学校です。上京区のホームページによると、昭和12年(1937年)の台風による大被害の後に大改築された建物だそうです。
また元々この小学校は、明治2年に番組小学校として開校した、日本で最も古い小学校のうちの一つのようです。番組小学校というものについても、日本の近代化に貢献した非常に興味深いシステムですので、是非調べてみてくださいね。
学校の前にはこんな碑が。平安宮大蔵省跡。
そして、秀吉が政治の中心として建造した城郭、聚楽第もここにあったそうです。
京都弁のレッスンのような説明文。おもしろいですね。
ここは聚楽第の西の端とのこと。
では東側は?
こちらが東の端。これは気づかないですねー。
二つの碑は250m程、離れた位置にあります。
千本中立売からはアーケードに。
商店街のロゴマークは市電の絵。このあたりの方々の市電に対する愛着を伺い知れます。
歩道にはレリーフも。
七本松通と交差するところに広場を発見。
市電のモニュメント。
この広場には他にもいろいろあるみたい。
さらに進むと京都こども文化会館が見えてきます。ここがちょうど北野車庫があった場所です。
会館前の壁面には市電や山鉾を象ったレリーフ達。
一条通と分岐する交差点。市電は右へカーブして行きます。
すると正面に北野天満宮の鳥居が見えてきます。交差点の手前に終点の北野停留所があったようです。もともとは、今出川通を渡った鳥居のすぐそばに停留所があったそうですが、1957年に今出川線の敷設のため、交差点の手前に移設されました。
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